アインシュタインの日本旅行
改造社の社長であった山本実彦が手配した旅行は、講演、公的行事と観光が交互になったものでした。公開講演の翌日、アインシュタインと妻のエルザは小石川植物園でひらかれた帝国学士院の歓迎午餐会に招待され、夜には歌舞伎座で歌舞伎も楽しみました。東京滞在中には、赤坂離宮(現迎賓館)にて行われた観菊会にも招待されました。この会でも多くの参加者がアインシュタインに注目し、時の人である彼との握手を求めました。一般の人にアインシュタインの講演が理解できるのかという声もありましたが、その後の講演にも多くの報道陣がつめかけ、様々な記事が連日新聞の紙面を飾りました。 アインシュタインは東京から北の仙台へと旅を続け、「荒城の月」の作詞者として知られる土井晩翠からは英雄詩「偉大なるアインシュタインに寄せて」を献呈されるなど歓待を受けました。それから南にくだり、名古屋、京都と旅を続け、12月17日には京都大学で「如何にして私は相対性理論を発見したか」という題目の講演を行いました。今回の旅行の全てに同行し、通訳を務めた物理学者の石原純(当時の日本の相対性理論の第一人者)が残したこの講演のメモは、アインシュタインが理論上の問題との格闘し、その解決に至る背景を語った、価値ある証言となっています。さらに南へと向かい、九州の福岡へと旅をすすめたアインシュタインは、そこで最後の講義を行い、クリスマスには、キリスト教主催の会に参加し、子供たちにヴァイオリンを披露しました。12月29日門司の港から船に乗り込み、盛大な見送りとともに日本に別れを告げました。
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